夏至と聞くとなぜかミッドサマーを連想してしまう私😅
ミッドサマーを観たあとはなんとも言えず恐ろしかったし、スウェーデンは行けないな、と本気で思いました。
もちろん映画だけのお話だと思うのですが、日本にも怖い村というものが存在するようですので
当たり前のように風習を創り上げてしまう人間の意識が、やはりこの世で一番不可解で恐ろしいものなのかもしれないですね。
ミッドサマーの監督は日本の村を題材にした映画に影響されたようですよ。
ま、多かれ少なかれ田舎には排他的なところがあるものですけどね。
そんなことを朝思ったこともすっかり忘れて(笑
今日は富士山の見える公園に行って、そこからシリウスのサーキュラーや私の宇宙の仲間たちや、国常立神(くにのとこたちのかみ)や地球や宇宙へ感謝を送りました。
(曇っていて富士山は見えませんでしたけど)
感謝を送っていると、この地球での私の人生があまりにも恵まれていること、すべてが完全であることが、心の奥から湧いてきました。
日本に生まれただけで、すべてが可能になるチケットを手にすることができていたのですね。
私の生まれたところはよそ者には排他的だった。
それでも私は空と海が重なる広大な地平線が見渡せるあの時が大好きだった。
あの壮大な景色の中で子供時代を過ごせたことは、私の記憶の宝ものとなりました。
今は今で、いろいろなことがあった私のこれまでの人生は、今の私のために完璧に用意されていたものだったと思えるようになりました。
すべてに感謝しながら、シリウスのサーキュラーや私の宇宙の仲間たちや、国常立神(くにのとこたちのかみ)や地球や宇宙へ、叫んでいました。
生きとし生けるもの、すべてが幸せを感じて暮らせるようにと。
先人たちはそのために私たちにいろんな足跡を残してくれている。
その足跡のおかげで、今、私は目覚めを選択することができ、そして祈りを捧げている。
目覚めを選択するとすべてがハッピーエンドにつながってゆくのかもしれない。
すべてが私のためのお膳立てだったのだね。
完全にトータルパッケージされて生まれてきた私が、それらのどれを使っていかにどれだけの経験や体験をしてゆけるかの。
だからパッケージされているものを全部使って体験していないならば、まだ目覚めるのはもったいのかもね。
だからみんな自分で決めるのだね。
持てるもの使い切ってこれでいいと満足するまでは、目覚めるのはもったいないと。
せっかく生まれてきたからね。
たくさんのことを経験して体験するぞと意気込んできたでしょう?
でも目覚めを自分で決められることを忘れてしまうから、それらの経験が永遠に続いてしまうと絶望したり。
だから、このようなシステムを思い出せるように先人たちは語り継いできた。
私たちが迷子にならないようと。
目覚めるとそこにあるのは感謝と愛だ。
子どもの成長を見守るような愛が発動し、その愛が私たちへ道を標してくれているのかもしれない。
私もそうありたいと思う。
生きとし生けるものすべてが幸せだと感じられるような、そんな世界で暮らしてほしいと願う。
祈りの後には曇りなのにうっすらとハロが頑張ってくれました。
太陽や空を通しての、みんなとのコミュニケーションですね✨
ありがとう✨
みんな愛してるよ〜💖