本来私たちは霊的な生命体であって、この肉体は仮の器なのだそうです。
そして死とは無になってしまうものではなくて本来の自分たちの霊的な存在に戻るということだと。
霊的な世界はすべて想念で動いていて、自分が思っている世界が目の前に広がるのだそう。
これは今のスピリチュアルの方々の共通の認識だと思います。
が、スピリチュアルというものを知らなかった私は、こういう認識ではありませんでした。
死は未知で怖いもの、と思っていました。
でも、その怖いものだと思っていたものが、
実は自分で勝手に創り上げているものだとしたら
自分の創り上げた世界を、魂の行き場所に指定しているのであれば、
それは、どうなの?
というよりも、自分で自分の行く場所を選択できるの?
もし、それが真実であれば
それって、朗報!?
今から16年前に、我が家にとても小さなにゃんこがやってきました。
子どもが怒られるのを覚悟で(^^; 連れてきたのですが。
実は、私は自分の責任のもとで動物を飼うということがこの時、初めてでした。
いくら実家で犬や猫を飼っていたとはいえ、事実上、自分に責任がかかるのが初めてで。
でも、時が過ぎて、そんな風に思っていたのがどこ吹く風。
それからいつのまにか5匹と増え続けて(^^;
そして、当然のことのように最初に拾ってきたその子は高齢になっていました。
そして今年の一月にガンが発覚して
私は、迫りくる命の期限というものに向き合えない自分を知っていました。
旅立つ先が、暗くて、知らない場所で、迷子になったらかわいそうで。
私にとっての「死」は、子どもの頃の、冷たく寒くて、怖い、という記憶のままで
それから、いろいろな事が起きて過ぎていきましたが、どの人の死も、
暗くて冷たい、その記憶が塗り替わることはありませんでした。
私は怖かったんです。
たとえ、とても小さな命だとしても、
失うのが怖くて
その子の旅立つ先が、怖くて、心配だったんです。
でも、その心配や怖さが、自分の無知からくるものだと気づいたとき、
私はその情報に基づいて
無意識のうちにその子が旅立つ時に照準を合わせて
記憶を塗り替える場所にたどり着くようにしていたのだと思います。
その場所は
現在、過去、未来の時間の座標軸、そして空間の座標軸があり、
自分の霊的な意識を使って(想念を使って)
今、という場所に立って、
そこから一直線上に並んでいる過去と未来への情報を、
これまでの記憶の情報だったものたちから
「光」へと書き換えました。
おととい、亡くなったんです。
余命わずかな期間だったのを、7ヶ月も一緒にいることができました。
いろいろな奇跡がありました。
今、にゃんこちゃんは
あたたかくて、自由で、やすらぎと愛で満ちていて、光に包まれていることでしょう。
通っていた病院から花束が届きました。
ありがとうございました
私の記憶の書き換えは、実にいろんな存在から後押しがあり、手助けしてもらいました。
自分の選択で、どこでも行けるよ、と。
そして、それらを共有していけるよ、と。
本日もご訪問ありがとうございました!