愛と恐怖による

ハイヤーハート イラスト

私はコロナに対しては治療薬があればいいな、くらいに思っていました。

そしてその治療薬が今、進められていますね。

我が家では娘と夫がすでにモデルナ製のコロナワクチンを2回接種しています。

のんびり構えていた私にもファイザー社のワクチンの案内が届きました。

案内が届いても私自身は必要な人に優先で届けられればいい、という考えで予約せずにいました。

娘は「ワクチンを接種すると5年後には亡くなる」、と言う話を世間話のように家でも言っていたのですが😆

接種する方を選択しました。

夫や義母や義妹に関しては何の疑問も持たずに職域やら地区町村の案内でさっさと接種しました。

さて、そこで私(笑

この接種組の皆さんから当然のように意識を向けられるのですね。

娘はのんびりしている私に

「早くしないとアストラゼネカ社のワクチンしかなくなる」

と、モデルナ社かファイザー社のワクチンを受けられるうちに接種した方がいいという考えで、私に変わって予約をしてくれたのです。

2度予約を入れてくれようとしたのですが、いずれも予約がうまってしまってとれませんでした。

それでも娘は「今度はちゃんと予約を取れる時間帯でしてみる」と言って私のワクチン接種の予約に積極的です😆

予約が取れないということを義母も義妹も心配してくれて、いろいろ聞いて調べてくれたり。

 

私はね、みんなのその様子を観察してるんです。

積極的に予約を取ろうとしてくれる娘には

「5年後には私だけ生き延びているから大丈夫よ〜」と言ってみたり

予約が取れないと心配してくれる義母には

「そう、予約が取れないことにはね〜」

と予約が取れることを待っているかのように話したり。

ふふ。

そのシチュエーションでさまざまに返事をしています。

でもみんなを見ているとわかることがあります。

それはワクチンを接種していない私にコロナをうつしてしまわないかということ。

それによって重傷化してしまわないかということ。

心から私を心配してくれているからのことなのです。

コロナ感染で重傷化して欲しくないという「愛」や「思いやり」なんですよね。

コロナに対する「恐れ」でもあり、そしてそこから守る「愛」でもある。

対するコロナワクチンを打ったら5年後に亡くなる、後遺症に苦しむ、というのも「恐れ」そして守るための「愛」から広まったものなのだな、と。

 

そこで、どちらを選択するかと期限付きで迫られることがありますね。

今の私がそうであるように(笑

もし娘が予約が取れたら?

さあ、私はどうしましょうか?

 

答えはとてもシンプルです。

私は前に自分自身に問いかけていました。

「どうなの?」と。

私の内側から返ってきた返事は、こうでした。

 

どちらでも、だいじょうぶ。

打っても、打たなくても、どちらでもね、だいじょうぶですよ。

 

と。

だから娘によって予約が取れたら私は接種するし、取れなかったらそれでもOKです。

どちらでもだいじょうぶなのですから

娘や夫の混じり気のない「愛と思いやり」によっての申し出は、「愛と感謝」で受けようと思います。

 

混じり気のない「愛」の波動が「恐れ」を包み込み光に変換させてゆくことを私はイメージします。

甘っちょろいと言われそうですがイメージこそが現実を創っていることを、私は学び、そして思い出すことができました。

すべての選択は、恐れからか、愛からか、が目安になります。

そしてそれは他の誰でもなく、自分自身の選択になります。

 

この私の内側からの「だいじょうぶ」とは

私のしてきた実験ではもう、「だいじょうぶ」、の波動に変えられるということ。

これまでの自分自身に行ってきたエネルギーの実験。

 

すべてはエネルギーをどう意識して動かしていくかということなんだね。

 

さあ、予約は取れるでしょうか?(笑

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