選択するパラレル シータより

シータ

あなたは今どこのパラレルを選択しているだろうか。

あなたの隣には無限の人生のパラレルが存在し、自分の意識の強く向いた方向に進むのだ。

だからあなたは何に意識をおきたいかを考えてみればいい。

 

嫌いなあの人のことを考え続けるのか

傷つけられたあの人に憎しみや恨みを続けるのか

自分にないものを持っていると、あの人を妬み続けるのか

人と比べて自分を満足させたり否定したりするのか

自分ばかりが損をしていると感じるのか

何かをしようとするといつも邪魔が入るのか

 

どこに意識を合わせ、あなたの人生を歩むのかはもちろんあなたの自由だ。

しかし、あなたの否定的なパラレルは無限にあり、もしあなたが心の安寧や平和をのぞんでいるのならば、ずいぶんとかけ離れてゆく。

そしてあなたののぞむ世界からかけ離れたところがたった一つの自分の人生であるかのように絶望する。

のぞむ世界ではない平行次元をさまよい、そこがさもさも自分の道であるかのように苦しみながらゆく姿は間違いなくあなたたちの後続の子どもたちにも受け継がれる。

あちらで調整されたまっさらな美しい魂が、生きづらいあなたの苦しみの鋳型に人生を制限されてしまう可能性があるのだ。

 

それでいいのだろうか?

自分がそのようにこの地球で受けた魂の傷を後続に引き継がせていいのだろうか。

大丈夫、あなたはただ知らないだけだ。

悪意があってのことではない。

あなたがすることは、もっと自分を安心させられるように自分に目を向け声をかけることだ。

日々の健康的な食事や睡眠、そして適度な運動を取り自分を整えよう。

地球にいて最も大切なことはあなたの魂とともに動いてくれる身体があってこそだ。

そしてそれと同時に怒りや否定で傷ついているあなたに声をかけるのだ。

私は自分に集中します、と。

仕事では自分の仕事に集中する。

子ども関係では受け持った役割をこなすことに集中する。

誰の目も評価も気にすることはない。

あなたはただ、ほんの少し口角をあげただけの笑顔でそこに集中するだけでいい。

自分に価値がないと、何をやっても空回りだと、自分を責めるのいい。

ただ、その無価値観、空回り、責める、という意識の纏足(てんそく)のような鋳型は間違いなくあなたの身近な魂をゆがめ、縮こませ、制限させる。

あなたにはそのような強力な力があるのだ。

あの隣のおばさんにも、おじさんにも、職場のパワハラセクハラ上司や、話の通じない後輩や、仕切りたがりのPTAにも、あなたの憎んでいる親にも、周りをゆがめてしまうパワーがあるのだ。

でも、もうあなたは気づいたはずだ。

自分がみづからその世界を選んでそこにいることを。

あなたののぞむことにみづから制限をかけているのだと。

あなたはただ、神々しく自分のすることに全集中をしてすればいい。

何か皮肉でも言われたら笑顔で意味ありげに口角を上げて返すだけで良い。

その笑顔を肯定的にも否定的にもどうとらえるのかは皮肉を言った人に任せよう。

深入りせずにそのパワーを振りまいている渦から遠ざかればいい。

隣の人のしていることが気になり、焦ったり、手を貸そうとするお節介な人には、(お節介な人はそれをお節介と思わず、自分の善意だと思う節がある。)

そしてそのお節介が手痛く返されると激しく傷つき、自分を正当化してゆく。

あなたがすることは、わからないことがあったらいつでも聞いてね、と言ってただ見守り、待つことだけだ。

お節介はその人の自主性やプライドをゆがめてしまうのだ。

ただ、お節介をしてしまってそれに気づいてしまった時の対処法もある。

あなたはとても傷ついたあとだが、それでもいつまでもその傷ついた場所に自分を置いておくわけにはいかない。

なぜならあなたの傷ついた波動はあなたの身近な人の波動までをゆがめてしまうからだ。

調和というワードがどのような意味を持つのかをその波動のゆがみを想像してみるとわかるだろう。

攻撃してくる人、人のものを欲しがる人にはまずは自分が美しい調和の光の中にいることを意識し、それと同じ光を相手に送ってみよう。

でも今のあなたはあなたの周りで起こる現象に全意識を向け、傷つき、疲弊している。

もちろんあなたを形成しているエーテルの光の形も傷つき、ゆがんでいる。

調和されていないのだ。

そんなあなたはますます攻撃や搾取される対象となる。

攻撃はあなたの傷口を突破口として侵食していく。

逆もある。

傷つきゆがんだエーテルを持つものがどんなに相手を変えようとしても相手のエーテルがあなたのゆがみに形を変えてゆくだけだ。

光の言葉を伝える人の媒体が自我を通すと自我の伝達になり光の伝達ではなくなるのと同じだ。

だから、あなたは何をするのかというと、自分のゆがみを調整してゆくだけなのだ。

周りに何かをしてあげようとかをする段階ではまだないのだ。

それより自分の想い描く世界を自分で意識しよう。

あの人に幸せになってもらいたい。

あの人に謝りたい。

あの人に自分のエリアに踏み込んで欲しくない。

自分に自分の意図を伝えよう。

そして自分を光で包もう。

自分にだけ集中すればいい。

そしていい意味でも良くない意味でも頭に浮かんだ人たちを光で包み、光の世界に「ゆだねます」と言おう。

時間がかかるかもしれないが、それでも自分の意図と光の世界の連携をいつしか実感することになるだろう。

 

そして自分は十分に調和の世界にいると思い込んでいるときに、また誰かから批判が入るだろう。

その時は「ふふ」と笑顔で自分とまたその相手を包むのだ。

これほど自分は調和の世界にいるのに、あの人をこちらの世界にこさせなければ、など自分の調和だと思う世界を優先させずに、ただ、「ふふ」と笑顔でやり過ごすだけでいい。

すると相手も自分の主張は変えずとも、「ふふ」とやり過ごすようになってくる。

人にはそれぞれの考えがある。みんな考えは違うのだ。

それだけで誰も自分と相手のエーテルをゆがめることがなくなる。

そうして誰からも侵食されずにゆがめられないようにしてゆく。

あなた1人がそうすることで周りが個々に調和されてゆく。

もう傷口から侵食される隙間がなくなるのだ。

 

あなたは気づいているのでしょう?

今が自分の想い描く世界ではないことを。

あなたも、周りもすべてが本意ではないところにいてしまっていることを。

でもあなたは気づいているのに、自分の悪口を言う人や、自分を支配しようとする人に対して、自分を責めて傷つけているだけだ。

それだけではない。

自分の親切心が相手のプライドのエリアを侵食しているのにも気づかず、傷ついた自分にばかりフォーカスをして自分を庇うフィールドに逃げ込み正当化して一時期自分を癒やそうとする。

もう自分で自分の心も修復できないのであれば、天にゆだねる方法もあるのだ。

人の良さもお人好しも善意からのことも、自分の自己満足を優先させるのではない。

道を歩いている明らかに言葉がわからないような外国人に善意で話しかけるのとは違う。

言葉もわかる人に、この人は自分の善意を満たすために自己満足したいのね、と手を差し伸べた後に思われたらどうだろうか。

転校生に「もしわからないことや聞きたいことがあったら聞いてね」と笑顔でさらりと通りすぎたら爽やかな風があとに残るだろう。

親が子どもに初めから答えを教えていたら、仕組みの過程を解くことができないのと同じだ。

「わからないこと、聞きたいことがあったら聞いてね」

または

「ここに参考のものがあるから見たいときに見てね」

とあくまでも自分からそこに向かわせるようにするのだ。

自分のお人好しの自己満足のために私は利用されたのだろう、と相手に思われないためにも、選択をその人自分にさせるのだ。

さあ、自分から手を差し伸べる人、相手のものがいつもよく見える人、自分を正当化するためにターゲットを作りその相手を疲弊させてゆく人、なんでも欲しがる人、奪いたい人などなど。

自分を整えてゆこう。

自分に集中して、健康的に自分の体を保とう。

嫌な気持ちが湧いてきたら、ふう、と息を吸って宙に放とう。

相手の顔が浮かんだら自分を光で包み、相手も光で包み、そして天に「ゆだねます」と言おう。

時間はゆるやかかもしれないが、それでもいつしかあなたは何かが変化していることに気づくだろう。

相手を嫌い、自分を責めていたあなたは自分を健康に保つことを選択し、そして自分と相手を光で包みゆだねる、その平行次元へと移行したのだ。

シータ

Author Theta

 

だが、あなたが今、食べるものがなければ上記の話はその限りではない。

まずは助けを求めて食べものをたべよう。

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